泡沫永人への想い

学生時代は漢文や古文に
うつつを抜かしていました。

言葉の美しさ、
限られた文字の中に映される、
無限のものたちに夢心地。

言葉の読み取り方が
色々あるのも面白かったし、
読み終わると
それで終わりではなく

いつまでも自分の中に続く余韻に
胸が震えたものでした。

時間の中に居る私たちは
どうあがいても
今の一瞬一瞬の全てが
過去に流れていくけれど、
それらは無くなるのではなく、

浮かび、消え、形を変えながら、
続いていくものなのだなと、
そして自分自身も
その一部なのだということが、
今なら感じることができます。

きっと私の体がなくなっても、
その流れは続いていく。

だから人はどれだけでも
快楽的になれるし、
苦しむこともできる。

方丈記、序文からの一節に
"この世は仮の宿にすぎないのに、
誰のために悩んで、何を望むのか。"

そう書いた鴨長明は、
神事を統率する禰宜の
次男坊でありながら、

草庵での生活に愛着を感じ、
詠をよみ、
また琵琶や琴の名手でもあり、

琵琶のお師匠が亡くなった際に、
これひいちゃダメよ。と言われてたのに、
その秘曲を弾いたのが知られて、
出家し遁世したなんて言われている、
とても、人間臭い人。

でも、
だからこそ人間は愛おしい。

物事には
意味があり、意味なんてなく、
永遠も一瞬と同意義だと思います。

私たちは、
日々を愛おしく思いながら、
生身の人として、
刹那でいて永遠の中に
それぞれの光を紡ぎ
生きているのではないのかな。

12月1日開催の大牟田octa-の
発表会、泡沫永人。

このテーマを聞いたとき
なんて素敵な
言葉なんだろうかと思いました。

主宰のRyokoちゃんとは、
ずいぶんと古くからの友人なんだけど、

彼女は昔から変わらず、
日々の泡沫を面白がりながら

そして、
きっぱりと未練なく前に進む人。

でも、
全てを切り捨ててしまうのではなく、
それがちゃんと繋がっていく、
終わりと永遠とが
バランスよく共存する人。

私は、出会ったころから、
彼女の世界観が大好き。

2人おんなじお師匠さんのもと、
それぞれに変化を続ける
泡沫が混じり合う。

そんな経験をさせてもらえることに、
心から感謝です。

Apsaras Caravan

長崎市内、島原市内で、 ベリーダンスレッスンを開講しています。 また、怪我のない体作りを目的とした エクササイズやストレッチの 出張レッスンなどを行っています。 どちらのクラスも新規生徒さん募集中です。 お気軽にお問い合わせください。 【お問い合わせ】 mona5516@gmail.com

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